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はじめの言葉

日本の近代文化は1852年(嘉永5年)ペリーの浦賀来航によって始まるのだが、その時の日米最初の言葉は旗艦サスケハナ号に乗り込んだ浦賀奉行所通訳、堀達之助による「アイ、カン、スピーク、ダッチ」(拙者、オランダ語を話し候)であったと言う。 全ての事柄は必ず言葉で始まる。当然、命の始まりにも言葉があった。それは、神による「光あれ」であったと聖書は言う。私はこのみ言葉に深く感動する。 自分が今、生かされている理由を実感するからだ。

私はマリナ・デル・レイをよく散歩する。ここは昆虫、鳥、植物、魚などいろいろな生き物が多く、ハッと息をのむようなこともあり、とても楽しいからだ。 ある時、ヨットの水路に小型のクジラが現れた。それはLA Timesでも紹介され岸辺には見物人が集まった。 海水を吹き上げながらゆうゆうと波間を泳ぐクジラの様子は優美で、とても幻想的であり、 見つめる人たちの間には厳粛な空気さえ流れていた。この鯨は 1週間ほどその辺りに居たのだが、私はそこに、この巨大な鯨の命を支えるべき生き物が 群れている環境がうれしかった。 全ての生き物は食べ物がなければ生きられない。しかし、食べ物は一つの法則を持っている。それは強い者が弱いものを食べるという法則だ。

マリナ・デル・レイで鳥や魚を見ているとその本能的な狩猟能力の素晴らしさにも神を感じずにはいられないのだが、もし、地球が水槽のようなもので、強いものが弱いものを食べ続けて生きるとしたら、あっという間に全ての生き物は絶滅してしまうだろう。 しかし、延々と流れる時間の中で食べ物は尽きず、 全ての命は生かされ続けている。それは食べられるために生きている植物と言う存在があるからだ。「私は全地のおもてにある種をもつ全ての草と、種のある実をむすぶ全ての木とをあなたがたに与える。 これは、あなたがたの食物となるであろう」(創世記1−29)じっとして動かず、自分の葉を落として根の周りを守り、 季節に実をつけて他の生き物の食べ物となり、酸素を放出し、家や道具の材料となり、人間の薬の半分以上の原料として使われ、 色や形を変えながら人を楽しませる、他 の命を生かし続けていく生き物だ。 それでは、この素晴らしい食べ物、植物は何によって生きているかと言うと、光合成によって生きている。つまり、光と水、空気中の二酸化炭素の合成で生きているのだ。 植物は光によって生かされている。

魚を追いかける鳥を見ながら空を見ると、サンタモニカベイの上に大きな白い雲が浮いている。 全ての光は熱を伴い、海の水を蒸発させ、それが雲になるからだ。しかし、太陽光は均等には当たらず、温度差が出来、その温度差は風となり、雲は流されていく。 流された雲は雨になり、地を潤し、その水を植物は吸い上げる、そしてそこに明るい陽射しがやさしく注がれ、命のいとなみは続いていく。キリスト教書籍ではないが, 東京大学理学博士、 園池公毅教授の「光合成とはなにか」という本の中に「全ての命をたどって行くと「光」に行き着くのです。」と言う一文があった。 「光あれ」この素晴らしい神のことばを思いながら、今日もマリナ・デル・レイの陽射しの中を散歩した。

伊藤嘉一